おこめどころの砂

日本生類創研tale下書き 「D室内の憂鬱」

 面倒なことになった、と彼は嘆息した。しかも連続している。仕事柄と職場的にも面倒や危険はそんなに珍しくもないものの、あんまり連続すると彼も辟易する。

 始まりは彼個人の愛玩動物たちの不審死だった。

 場所柄ここにはよろしくないものはたくさんあったので、不審死自体は珍しいことではない。彼が務めている日本生類創研のD研究室(通称、D室と呼称される。以下D室と記載する)はウイルスや細菌系統の研究は管轄外ではあったが、被検体達が接合や融合の結果、毒素(もしくはもっと殺生力の高い何か)を放出することは珍しくは無く、それらが原因で創研内の研究室が研究員ごと全滅した例は珍しくないからだ。

 ディー(彼の名字が長く大仰で噛み易いことと彼が室長を務めるD室にちなんだ彼自身の愛称)は彼らの友人・家族の義務として原因究明に努めたが、突然死の原因は全くの不明だった。外傷もなく、解剖をしても何ら不審な点は見つからない。

 彼が愛情を持って接している友人や家族たちの扱いを誤まったり無碍にしたりすることはあり得ず、種の寿命にしては早い気もするが、これも彼らの寿命だったのだろう…と少し落ち込んで、そこでこの件に関してはお仕舞い―――のはずだった。

 不審死が彼個人の愛玩動物だけではなく、実験体や被験体にも及んだのである。

 ディーのペット達の死についてはあくまでも彼の個人的な事情であるが、それが創研の所有物である実験体達にまで及ぶと事情は違ってくる。彼は彼の管理するD室の責任者として創研の資産の損失の原因について究明しなければならなかった。少なくとも、報告の体裁は整えなければならなかった。

 原因の究明は難航した。ディーの友人たちが不慮の死を遂げた時期に、彼の部下達の勤務態度が著しく悪くなったのである。彼らは出仕を拒み、創研の崇高なる(建前として。ディー自身もそれを崇拝していないが)理念を忘却して手のひら大の多機能電話機のソフトウェアに熱中しだしていた。初めはディーも彼らの職務怠慢が被験体達を死に追いやったのだと思ったくらいだ。しかしそれ故に原因が判明した。まさにそのソフトウェアがディーの家族や友人や息子達を死に追いやったのだった。

 ディーが研究室内に私物の通信機器を持ち込むことは禁止されている、と注意すると研究補佐達はいかにそのソフトウェアが素晴らしいものかを熱弁し、ディーにもプレイするように勧める為にゲームプレイを実践して見せてくれた。(協力プレイですね、と彼らは朗らかに笑った)

 プレイヤーを模した3Dアバター達が、ゲーム内に現れたモンスター達を倒していくたびに、研究室の実験動物達が次々に死に、1つ目4本足の皮膚が爛れたような巨体のオークを倒した直後に、ゲージに収容していた処分予定だった実験体D-65-cが声も挙げず絶命したのを見てディーはソフトウェアの性質を確信した。

 「手応えのあるボスラッシュでした」と爽やかに笑う彼らへの怒りをぐっと抑え、彼らがいかにこのソフトウェアが素晴らしいか褒め称えるの同調しながらこのクソッタレなゲームの入手先を聞いた。

 精々この怠惰な研究員共を左遷させる程度のつもりだったが、ゲームに取り憑かれた彼等が「ここは手応えのあるボスが多くてレベルアップが捗ります」などと宣ったのにディーの我慢は限界を超えた。

 クソッタレなスマートフォンを叩き落として踏み潰し、自尊心を満たす源を失って狂暴になった彼らをちょうど給餌の時間だったD-34のゲージに放り込んだ。

 ディーは動物愛護者だった。遊びで、自らの狂喜の為だけに彼らの命を奪う行為はディーにとって許し難い蛮行である。
 
 ディーの口汚い罵詈雑言はD-34丙の咀嚼音に紛れて消えた。

 かくして原因は判明し、危険は取り除かれた。

 ディーは取り敢えず創研内で似たような事例が発生していないかを探し、この悲劇が自分の管轄内のみに起こったことだと確認した。

 本来であればこの件を含めて部長らに報告するべきだが、この野蛮な玩具が創研内で実験体の処分用に使用されても不愉快なだけである。画面内の3Dドットをアバターが切り刻むだけで現実世界の処分に難しい実験体を簡単に処分出来るから、もしかしたら創研はこのソフトウェアを処分装置として利用するかもしれない。

 ただ、この忌々しいソフトウェアは操作者が社会不適合者になる事と殺害される対象がランダムで選択できない事から実用には値しないだろうとは思うが、創研には頭がイカれてる連中も多いので改良してしまうかもしれない。しかしそれはディーにとっては不愉快甚だしい事だった。

 よってディーはこの件を“無かった事”にした。D-34丙に食わせた研究員達についてはどうとにでもなる。創研では人員が物理的に居なくなるのはよくある事だ。 

 しかし事態はそれで治まらなかった。彼が別名義で資金援助している動物愛護団体に、ペット連続不審死の情報が多数入ってきたのである。自分の研究室内でならともかく、民間で起こっている変異を治めるのはディーの管轄外である。そこで彼は事態の収拾を然るべき所に任せようと思った。ディーは“そういう事”を得意とする連中を知っていた。 

 ディーはいくつかの国を経由して発信元が辿られない様に偽装を施してから、とある企業の“営業”にメールを送った。

 彼らは創研とは敵対企業ではあるが、ディーの個人的な感情から言えば彼らに好意を持っている。なにせ彼らは仕事熱心で仕事も早く、そして丁寧だ。ディーは仕事に熱心で真面目な人間が好きである。

 ソフトウェアがダウンロードできるURL、ディーが確認できたソフトウェアの性質を記し、これは全ての生類にとって害悪であるから貴方方の“倉庫”に収容した方が良い、と促した。

 ディーがメールを送った数日後に、ペット連続不審死の原因が公園内の芝生散布した農薬の為、という情報が流れているのを発見して“倉庫屋”が仕事を全うしたことを知った。それを以って今度こそあの忌々しいゲームソフトウェアについてはお仕舞いだった。別件でそれどころじゃなくなったからである。

 社内コンペに提出する企画書の締め切りが間近に迫っていたのをクソソフトウェアにかまけていて忘れていたからである。

 しかも怒りに任せて部下の研究補佐達を全員実験体の餌にしてしまったため、全てディーひとりで仕上げなければならなくなった修羅場だった。そのおかげで彼はあのソフトウェアへの憎悪を新たにしたのだがこの件に関しては完全に彼の自業自得である。

 ヤケクソで仕上げた企画書を提出して、動物愛護団体から引き取った新しい友人達がディーに懐いてくれる様になった頃、代わりの研究補佐がひとり配備された。

 東雲と言うその若い研究員は仕事に真面目で熱心であり、実験内容や研究内容に顔を青くすることが多々あったが優秀だったのでディーはとても気に入っていた。彼が好む人員は仕事熱心で真面目な人物である。

「僕は東雲君のこと期待してたんですけどねぇ…前任に比べてずっと真面目でしたし」

 ひとつにまとめていた髪は黒い髪はぱらぱら床に散らばって、意志の強そうだった瞳は今は瞼の裏に隠れている。薬品によって昏倒させられ顔の血色が悪いが息はまだあった。薬を飲ませたのはディーである。薬の加減を間違えるわけがなかった。

 通常であれば、敵対組織の潜入員と発覚知ら時点で有無を言わさず粛清だが、警備を呼んで暴行を加えさせなかったのはディーの温情だった。

 昏倒している東雲の肩をつま先でつつきながらディーは心の底から残念に思った。

「“倉庫屋”の潜入員だから真面目な仕事熱心にもなるだろう」

 珍しく落ち込んでいるディーに冷たい声が掛かる。

 ディーと同じく東雲を見下ろしている長身の男は一見して研究者には見えない。かつて一研究員であった頃のディーの上司であり、現在は創研の副所長にまで出世した神代という男だ。

 グレーのスーツには皺一つなく、上げた前髪はぴっちりと撫で付けられてある。さすがにディーが創研に入社した頃には見られなかった白髪がちらちら現れてはいるが、人を殺せそうな眼光の鋭さは研究者ではなくヤクザのそれであった。

「そうは言いますけど東雲君が倉庫屋の営業だって見抜けなかったのは人事の怠慢じゃないですか」 

 倉庫屋の営業を重用していたのをディーだけの責任にされても困る。東雲が倉庫屋の潜入員だと発覚したのだって、人事部の調査からではなくディーの調査からである。ディーが人事部の怠慢を批判する資格はあるこそすれ、不用心だと批判されるいわれはない。

「お前を処分するつもりなら、わざわざ私がここには来ないよ、ディー」

 人を殺せそうな眼光の鋭さはそのままに、神代副所長は不貞腐れるディーを慰める。慰めてくれている割にはにこりともしないが、ディーはこの男の表情が動いたのを彼の部下であった頃から見たことがない。

 尤も、ディーの上司である部長ではなく、副所長がわざわざ来ていること、ディーを名前でなく愛称で呼んだ(ディーという愛称も室長時代の神代がつけたものである)ことからディー自身に重い処分が下されることはないだろうと予測はしていた。 

「…じゃあどうしてわざわざ神代さんがいらしたんです?」
「…お前の報告書を読んだが、倉庫屋の本社で記憶装置を受けた形式があるそうだな」
「D室でできる簡単な検査ですけどね。詳しくはN室の連中に任せた方が確実だろうと思いますよ。あいつら頭おかしいですけど専門ですから」
「これの脳はN室で分解される」
「えっ」

 N室とは創研の研究室の一つで、主に脳や神経についての研究をメインとしている。

「じゃあ東雲君欠片も残らないじゃないですか。東雲君の脳髄欲しかったのに」
「記憶措置技術の解明は創研の急務だ。倉庫屋の記憶措置が施されているサンプルはは貴重だ。諦めろ」
「そりゃあ創研が倉庫屋並みの記憶措置技術をモノに出来れば人型素体の供給も安定しますけど…」

 折角傷をつけずに昏倒させたのに、久しぶりの人型素体が傷物になるのにディーは何だかいやな気持になった。東雲をN室に送ったら“部品”すらもディーの手元に残らない可能性が高い。あんなに綺麗だったのに。

「…例のコンペだが、D室のものに決まった」
「えっアレが通ったんですか」

 クソソフトウェアのゴタゴタでテキトーに出した大口クライアントへの企画書の話だ。基本的に各研究室はそれぞれの室長の好きなテーマに沿って自由に研究を重ねている。しかし過去の所長ら上層部は研究にのめりこむあまり経営を疎かにして、倒産寸前まで追い込まれたことのあった。ちょうどディーが創研に入ったばかりの頃がその時期に当たる。

 自由な気風とは言葉ばかりで、実際は各室長は研究のために創研の資産を横領したり研究資料の強奪が横行したりして酷い有様だった。創研創業時の目的のために働いているとはいえ、やはり人間は人間でしかない。
当然給料も出なかった。貰った記憶もない。

 当時の上司だった神代が援助してくれなかったらディーはとうの昔に実験動物達の餌になっていたかもしれない。

 新しい経営陣に刷新してから自由な気風はそのままに、ある一定のラインで各研究室は上層部にコントロールされることになり、過去の教訓を生かして創研の目的以外に創研の利益のためにクライアントから依頼のあったモノを創作したりする。

「前から思ってたんですけど、あのクライアントの趣味悪くないですか」
「お前が書いたものだろう」
「いやあ、だって気合い入れた企画書が通らなくて、テキトーに書いたのばっか通るんですから自信なくしますよ。前もそうでしたもん」
「なくしてもらったら困る」

 いやだなー気乗りしないなーとディーはボヤいた。ディーはこのクライアント依頼の案件研究が好きではない。

 ボヤくディーを神代は「そう愚痴るんじゃない」と窘めた。

「今回の案件研究は大口だから、これが終わったら予算はD室に優先されるんだぞ」
「予算まわしてくれるのは嬉しいんですけどー。やっぱり東雲君が戻ってくないのは悲しいですよ」
「そんなにこれが気に入っていたのか」
「そりゃあそうですよ。東雲君は真面目で仕事熱心でしたからね。それで神代さんがわざわざこちらにいらっしゃった用件は何です?」

 やはり東雲の処置結果と案件研究の結果を告げるためだけに副所長がくる必要はない。

「D室に処分予定の実験体がいただろう」
「D-65シリーズですね」

 D-65シリーズの一体は忌々しいソフトウェアの犠牲になったが、まだ何体か処分を待っている。

「あれらを“倉庫屋”の貸倉庫に預けることになった」

 倉庫屋。財団とも呼ばれることのあるその組織は、数多くの超常アイテムを収容していることから創研からは“倉庫屋”だとか“倉庫”等と呼ばれている。

「前から思っていたんですけど、倉庫屋に処分予定の実験体を預けるのって危険じゃありませんか。いつか連中に足がつきますよ」
「折角倉庫屋から良い素体を送ってくれたのだからお礼もしなければならないし、何より倉庫代はすでにディーが前払いをしていてくれているようだからな」

 つうっと、ディーの背中が冷えた。

「……東雲君が来たのは、僕の倉庫屋の前払いが原因だと?」

 「タイミング的に、そう思われても仕方なかろう」と神代はつま先で東雲の身体をあお向けにひっくり返した。

「…だが創研にくる潜入員は倉庫屋に限った話ではないし、今回は『たまたま』だろう。今回わざわざ来たのは久しぶりにお前と話をしたかっただけだ」

 つまり、ソフトウェアに件に関しては神代の一存で握りつぶされ、上層部には報告はされない、ということだ。ディーは命拾いすることになった。上層部が新しくなってから、こういう不祥事で研究員の“首”は簡単に飛ぶ。物理的な意味でも。

「この素体が欲しいと言ったな、ディー」
「えっ、でも東雲君はN室行きでしょう」
「脳はな。…他の“部品”はD室に配備しよう」
「本当ですか!」
「その代り、案件研究の件、わかるな?」

「誠心誠意を持って取り組ませていただきます」

 ディーはそう答えるほかなかった。

「ああ、こわいこわい」

 神代が去って一人残ったディーは腕をさすった。神代の威圧間で室温が2度ほど下がったような気がする。
 ソフトウェアの件は遠くないうちにばれるだろうとは思っていたが、こういう形で刺されるのは予想していなかった。

(しかしD-65シリーズは倉庫屋行きかあ)

 処分されたらそれはそれだが、もし彼らに“保護”されたら創研よりももっと丁重に世話をされるだろう。処分待ち実験体としてD室の狭いケージに押し込まれるよりかは彼らにとって安心できるだろう。

 創研が“財団”の存在を感知してから、創研は積極的に失敗作や処分予定の実験体を財団に預けるようになった。旧体制の創研が失敗作を不法投棄したのを財団に補足され、回収されたのが最初のきっかけらしい。

 その収容された失敗作を財団が丁重に“保護”されているらしいと知ってから、創研は財団に失敗作や処分体を預けるようになった。保護してくれればそれでよし、仮にあちらが処分してくれてももともとは処分予定のものだったので問題もない。

 こちらの研究品を保管してくれる組織。創研が財団を倉庫屋と呼ぶ所以はそれである。

(預ける、ってことは、いつか引き取りに行くつもりではあるってことだ)

 あのセキュリティが厳しい“倉庫屋”から預けたものを取り返すのは並大抵ではないし、強行突破をするだけの武力が創研にあるとは聞いたことが無いが、それは一研究員であるディーにはあずかり知らぬことである。

 ディーはしゃがみ込んで膝に肘をついて東雲の顔を見下ろした。

 東雲は創研では東雲と名乗っていたようだが、死体石鹸製作(Soap From Corpses Products)日本支社では南條という名前で在籍していたようである。恐らくこれも本名ではないだろう。倉庫屋の営業となると変名も多そうだ。

(東雲、南條………あ。)

「もしかして東雲君って、エージェント・キタニシ?」

 ディーがあのソフトウェアについてタレコミをしたエージェントがそんな名前だったような気がする。

 キタニシが漢字でどう書くかは知らないが、東西南北とは捻りがないような気もする。しかしそれはどうでもいいことだ。彼女はメールを送ったエージェントであろうがなかろうが、彼女が倉庫屋本社に働きかけてくれたことによってあのソフトウェアは世間から抹殺されたのだ。ただ、彼女がエージェント・キタニシであったならば、ディーが個人的に嬉しい、というだけで。

 ディーはあお向けに転がされた東雲の顔から美しい黒髪を払ってあげてにっこりとほほ笑んだ。

「君の事は好きだったから君の部品は大事に使うよ。資源は有限だし、何より僕はエコノミストだからね」