日奉家について

概要

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日奉紋: 日奉家の家紋。そのルーツについてはよく分かっておらず、モデルは輪宝、菊花、太陽など諸説ある。

日奉(いさなぎ)家は正倉1及び蒐集院において神格存在の封じ込めの任を担っていた一族です。神格の研究を主任務とすると同時に、神格の蒐集及び破壊に使用する呪具/術式の開発機関でもありました。任務実行部隊としての側面を有し、日奉家の人間のみで構成された対神格用の戦力を保有していました。また、優れた精神強度2を持つ人間を多く輩出する特異な血族でもあり、一部は神格のミーム汚染を完全に跳ね除けることが可能だったとされています。

蒐集院においては七哲3の直轄の一門であり、その他の機関からの干渉を受けにくい立場にありました。蒐集院には神格を含む非実体存在への対応を専門とする部門が存在しましたが、日奉家はこれとは独立しており、当該部門からの批判や抵抗を受け付けないという特徴を持ちました。日奉家が組織的にやや切り離された位置に置かれていたのは、神格による情報災害の事故を最小限に抑えるためでもありました。

日奉家の主任務は──七哲の直轄に置かれていたあらゆる組織のそれと同様に──重要機密として扱われました。そのため、傑出した妖術師/研儀官/神祇官の一門として日奉の名を知る者は少なくありませんでしたが、その実態について知る者は蒐集院内でもごく僅かでした。

日奉家は古くから神格研究機関として機能し、また不明な理由で記録されることを避けていたため、残されている史料は少なく4、未だに不明瞭な点が多いとされています。十分な確度の情報は、蒐集院が発足した明治時代以降のものに限られています。

起源

日奉家の起源は不明ですが、正倉の記録で平安時代後期には既に神格研究機関として活動していたことが確認されており、現存しているとするならば1000年以上の歴史を持つとされています。

構造

日奉家は複数の家系からなり、一門の秩序は本家である「喬木(たかぎ)流」を中心に維持されてきました。神格の研究/封じ込め/管理は本家によって主宰され、幾つかの有力な分家がそれらの補助を担任していました。神格研究には参加せず、雑務のみを粛々と行う家系なども存在しました。

日奉家は生物学的な血の繋がりを重んじ、非血縁者を日奉の人間として受け入れることは基本的にありませんでした。
日奉家の規模は代々日奉の家系同士の婚約によって拡大されました。日奉家の人間が家長の許可無く外部のものと交わることは「日奉の血を穢す」として固く禁じられた行為であり、破った者は家長によって罰せられました。日奉家が近親婚に拘っていたのは、その血筋に由来する精神強度の性能を保つという意図があったためです。兄弟姉妹婚、親子婚なども認められており、それらの実例を示す記録も確認されています。
この近親婚の風習自体は、血筋に有用な性質を持つ一族にとってはありきたりなもので、蒐集院もこれを認めていました。とはいえ、日奉家の血の質を守るその傾向は、その他のそういった一族と比しても極めて徹底したものだったと言われています。

目的

日奉家は蒐集院に本籍を置く一族の1つでしたが、あらゆる記録を参照すると、日奉家の目的は正常性維持ではなく、神格の研究そのものにあったように見受けられます。日奉家の蒐集院への数々の貢献は、神格研究に必要な地位を保守するためのものであり、忠誠意識に起因するものではないとされています。
日奉家が神格研究に拘る理由ついては古くから不明瞭であったため、当時の蒐集院内では「ヒトの神格化を目論んでいる」「神喰に手を出している」などの噂が実しやかに囁かれていたようです。

やり方

日奉家は──これは七哲直轄の組織にはありふれたことでしたが──結果として蒐集院の理念に貢献するものであれば、あらゆる非道徳的な行いが許可されていました。元々、日奉家はその主任務のためであれば手段を選ばない傾向があり、外部の人間はおろか、血族である日奉の人間さえも犠牲にすることが多々ありました。

日奉家の神格に関する研究の成果は、世襲によって排他的且つ独占的に継承されました。神格の封じ込めに有用な技術や情報の一部はその他の機関と消極的ながらも共有していましたが、神格の性質に深く関わる資料を外部に公開することはほぼありませんでした。これは、神格による情報災害の蔓延を防ぐためのやむをえない措置でもありました5

日奉家では全ての血族は「一族への忠誠」を義務とし、一族の意向に逆らう者は度し難い異端として扱われました。日奉家には負荷の大きい肉体改造(後述)や、危険度の高い主任務など、離反の誘因が多分にあったにも関わらず、実際の離反者は驚くほどに少なかったと言われています。この血族全体の忠誠意識の高さは、日奉家の特徴の1つとしてよく挙げられます。これに関し財団の超常史学部門は、閉塞環境での洗脳的教育の結果であると結論付けていますが、次のように分析する関係者も存在します。

彼らは家長のどんな冷酷な命令も平静に受容した。一族への献身が何よりの誉れだとでも言わんばかりに。私には彼らのその態度が恐怖による圧制や、魔術による洗脳に依るものとは思えなかった。彼らはまるで神に挑む運命に縛られているようだった。だから私はこう論じた。「日奉の血は呪われている」。

- 一等神祇官 ██████

日奉姓

「日奉」の姓は正倉帰属時期に[編集済]から下賜された崇名6に由来しています。崇名の由来は現在でもはっきりしておらず定説はありませんが、イサは結/和の意で、ナギは神木及び神籬である榊/梛/南木を表す語とする説、巫(かんなぎ)または神和(かむなぎ)の語からという説、伊耶那岐から転じてイサナギとしたという説、などが有力視されています。「いさなぎ」の読みに「日奉」の字が宛てられている理由は、「日奉」が元々の家名の一部だったからという説、日祀部と何らかの関係があったからという説などがありますが、いずれも推測の域を出ません。
蒐集院解体後に本家を含むほとんどの家系は失踪(後述)したため、現在「日奉」を今日的な意味の姓として名乗る例は多くありません。

樹木崇拝と名付けの習慣

日奉家は──神や宗教などといった概念とは敵対的な立場にありながら──樹木崇拝の宗教的観念を有し、植物と宇宙的諸力との関連性を信じていました。この樹木信仰とその崇名から、高木と深い関わりを持つ高皇産霊尊及びそれを祖神とする日奉(ひまつり)氏との関係性が疑われましたが、今のところそれらを裏付ける史料は発見されていません。
この樹木信仰からか、日奉家の人間には植物に関連した名前を付けることが定められていました。この名付けの習慣には家系ごとに更に細かな決まりが設けられており、例えば本家では、優れた精神強度を持つ者には喬木の名、そうでない者には灌木の名を付けるといった決まりがありました。これは、本家が「喬木流」と呼ばれる所以でもあります。
この名付けの習慣には、名前によってどの家系の者であるかを示す意図がありました。この風習がいつ頃から始まったものなのかは分かっていませんが、平安時代初期の系字の文化が変化したものではないかと考えられています。

日奉の妖術師

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日奉の妖術師(左): 画像は意図的な破損を受けている。記録されることを嫌う日奉家の人間によるもの。
右手には杖が確認できる。彼らは肉体改造の負荷により、歩行には杖や副木を必要とした。
彼らはその目立ちすぎる素顔をお面や頭巾で隠していた。

日奉家から輩出された妖術師は、その他のそれと区別され、非公式的に「日奉の妖術師」と呼ばれていました。いずれも神格の封じ込めに有用な魔術の使い手であり、多くの神格蒐集任務において前線に配置されていました。彼らは神格及び非実体存在に対しては無類の対応力を発揮しましたが、その他のアノマリーに対しては平凡な妖術師よりも無力だったとも言われています。また、神格の持つ情報災害的脅威への対応のため、彼らは魔術を用いた情報操作、特に情報の抹消の技術7に秀でていました。

日奉の妖術師たちは巫術式(後述)の速やかな実行のため、自身の身体に複数の肉体改造を施していました。それは魔術を用いた不可逆的なもので、健康にも美容にも大きな負担が掛かるものでしたが、彼らはその恩恵によって神格蒐集任務を効率的に遂行することができました。正常なヒトの容姿から逸脱した彼らのそれは、日奉家の権謀術数主義的なやり方の象徴でした。

巫(かんなぎ)術式

日奉家が残した最も特筆すべき業績の1つに、巫術式が挙げられます。巫術式は非実体存在を実体(依代)に強制的に憑依させる神降ろしの一方式です。巫術式は非実体存在の封じ込め/破壊を可能にする手段として正倉及び蒐集院では重宝されましたが、魔術や呪術などの超常的事象及び術者の優れた精神強度に大きく頼る手段であったため財団での流用は行われていません。最低でも8人の術者を必要とすることから、五行結社の五芒陣に習って八芒陣とも呼ばれました。

起源は不明ですが、巫術式は古くから神格及び非実体存在を封じ込める基本の手段として存在しました。多くの文献にて日奉家の祖とされる人物が理論化したものと論じられていますが、いずれも信憑性が保証される記録ではありません。

巫術式でいうところの依代には物、生物、土地などあらゆるものが成り得ましたが、日奉家は好んで高木を用いていました。また、対象となる神格に似通った構造のものを依代に用いることで、巫術式の成功率を上げることができました。
有知性の強力な神格は、ヒトの姿をしている例が多いため、ヒトを依代に用いる発想は古くからありました。しかし、ヒトが神格を身体に直接取り込むには、極めて優秀な精神強度が要求されることから8、後述する「日奉の巫女」を除けば、実行された例はほぼ確認されていません。

巫女

正倉及び蒐集院には封じ込めた神格を儀式的手段で鎮め、その抵抗力を零落させる「巫女」と呼ばれる役職がありました。当然のことながら、神格の管理を行っていた日奉家には巫女が多く存在しました。
日奉家の巫女は、日奉家の中でも特に精神強度が優れている者たちでした。先天的な精神強度は男性よりも女性のほうが優れている傾向にあるため、巫女の大半は女性でした。

日奉の巫女

日奉の巫女は、日奉家において特に強力な神格9の依代としての役割を担う人、またはその役割を指します。「日奉の巫女」は非公式的な呼び方であり、日奉家では単に巫女と呼ばれていました。
日奉の巫女は、日奉家の中でも群を抜いて優れた精神強度を有する者に与えられていた役割です。日奉家ではあらゆる情報災害キャリアを用いて、血族の精神強度を測っていましたが、それらの記録を参照すると、日奉の巫女らは最低でも、財団の最重要機密保護に用いられている致死性ミームの影響をほぼ完全に無効化する程の精神強度を有していたことが分かります。

巫術式の性質上、ヒトの姿を持つ神格の封じ込めには、ヒトを依代に用いるのが最も効果的だったため、日奉の巫女の適性者を輩出することは、日奉家の重要な任務の1つでもありました。しかし、適性者の現れ方は一定ではなく、同世代に複数人出たり、何世代にも渡って出なかったこともあったようです。

巫術式の成功率は、対象の神格と依代の構造の相似率によって左右されるため、日奉の巫女は術式実施前にその身体的特徴を神格のそれと一致するように整形されました。角や翼など、本来ヒトには無い特徴を対象が有していた場合は、新たにその部位を魔術的手法で付け加えていたようです。

蒐集院解体時の日奉家

日奉家の人間の多くは蒐集院の解体を平静に受容しましたが、財団に表明された一族の意向は「他組織への加入はせず、神格研究機関として独立する」というものでした。しかし、全ての血族がその意向に従ったわけではなく、一部の家系は超常界隈からの隔絶を望んで一般社会に復帰し、ごく少数の人間は財団やGOCのスカウトに応じました。

日奉家の血族はいずれも超常に関する知識を有していたため、一般社会への復帰を希望した家系は、財団の監視下で生活することが決定していました。当該家系は指定された秘匿保護を犯すことなく、模範的態度を維持し続けました。蒐集院を知る世代が逝去した後、財団による監視は解かれ、現在は超常の知識を持たないその子孫のみが残っています。

独立を宣言した本家及び分家は、即時的に要注意団体に指定されました。財団は蒐集院解体後に、日奉家の解体と彼らが管理を行っているアノマリーの回収を目的とする作戦を秘密裏に計画していました。しかし、彼らは蒐集院解体後間もなくして「日奉家失踪事件」を起こし、消息不明となりました。彼らの行方は現在まで分かっていません。

日奉家失踪事件

「日奉家失踪事件」は、蒐集院解体後間もなくして発生した、日奉家本家と分家のほとんどが一夜にして消息不明となった事件のことを指します。

蒐集院の記録によれば、事件当日、日奉家本家及び分家は彼らの研究拠点である日奉邸にいました。

特筆すべき人物

日奉梣 (Isanagi Toneriko): 日奉家の総本家「依木流」の家長。日奉家の中では最も優秀な妖術師とされ、あらゆる魔術を扱うことができたとされています。失踪時の家長に着いていた人物であり「最後の家長」とも呼ばれる。
晩年は車椅子で生活していました。

日奉目薬木 (Isanagi Mitsubahana): 日奉の巫女で、[編集済]の依代として機能した人物です。彼女は日奉の巫女という凄絶な宿命を笑って受け入れる芯の強さ、もしくは非常に楽観的な感性を持っていたと言われています。やや規則を無視する傾向を見せるほどの旺盛な好奇心を持ち、幼い行動が目立っていたと多くの関係者に論じられています。
彼女はより優れた依代として機能するために複数の肉体改造を受け、巨躯や長い手足など、異様な外見を持っていましたが、常に微笑みを浮かべており、親しみやすい印象を持っていたとも言われています。
彼女は歴代の日奉の巫女の中でも、飛びぬけて優秀な精神強度を有していました。また、歴代の巫女の多くは、身に宿した神格を支配しようとしたのに対し、彼女は神格と対等な関係になろうと試みたようです。彼女は度々身に宿した神格を「友達」と称していました。
彼女は日奉家失踪事件で消息不明となった人間の1人です。彼女が神格を手懐けることに成功しており、神格の特異性を用いて一族を異次元に逃亡させたのではないかという説もあります。

日奉七竈 (Isanagi Nanakamado): 妖術師。薄べったい大きな手を持つ痩せ細った老人だったとされています。一族に絶対的な忠誠誓っていました。
彼は主に神格による情報災害の拡大を防ぐためのあらゆる任を遂行しました。神格を認知した山村の焼き討ちなど、情報災害の蔓延を防ぐためのあらゆる虐殺行為は、彼の指揮によるものです。また、一族の意向に逆らう血族の処罰の実行なども担任していました。
彼は「神に伍する唯一の血族によって死を迎えることは、誉である」という考え方を持ち、殺人に躊躇を見せることは無かったと言われています。

日奉八手 (Isanagi Yatsude): 蒐集院の一等研儀官及び渉外官だった男です。彼は妖術師としてはほぼ無能でしたが、神格存在に関する先駆的研究を指揮し、若くして一等研儀官に成り上がった人物です。優れた指導者でもあり、多くの優秀な弟子を育てています。渉外官として世界各地の超常組織と頻繁に接触し、あらゆる神格に関する情報を収集していました。
彼は日奉家の異端の例としてよく挙げられます。彼は日奉家の手段を選ばないやり方や、蒐集院の超常を超常的手段で封じ込めるやり方に対し、度々懐疑的な態度を見せていました。また、彼は日奉家の本家の中では非常に珍しい親財団派の人間で、昭和時代後期に日本を収容体制活動下に収めようと動いていた財団に対して積極的に協力していました(財団への協力自体は七哲の命令でした)。
彼は蒐集院解体後、財団のスカウトに応じて非実体研究部門に置かれる予定でしたが、日奉家失踪事件発生当日に日奉邸にて殺害されました。財団は遺体から採取された痕跡により、日奉七竈によって殺害されたものと結論づけています。彼が殺害された理由についてはよく分かっていません。
彼は失踪する直前の日奉家を目撃した人物なのではないかと考えられています。

日奉沙羅 (Isanagi Shara): 審神者。蒐集院における審神者とは、神格と交信してその声(神意)を文章化する者のことを指します。彼は生まれ持った精神強度は優れていたものの、「出来損ない」であったため巫女の任を与えられませんでした。彼の頭部は審神者に有用な肉体改造により肥大化し、神意を拾うアンテナとしての役割を持つ昆虫の触角のようなものが無数に付けられていました。
余りにも多くの神意を聞き取った彼は、最終的には正気を失い「拾った神の声を文にして吐き出すだけの肉塊」になったと言われています。
神格の情報を包含する品は、個々に差はあれど情報災害的脅威を持ち、審神者が綴るそれらも見るものを汚染する効果を発揮しました。そのため、彼の残したそれは超常コミュニティでは「沙羅文書」と呼ばれ、危険視されています。

確認されている日奉

日奉樹 (Isanagi Tatsuki): 過去改変能力者。2013年9月12日にサイト-8115に収容済。日奉椋、日奉梢の義兄にあたる。████予想を証明した業績により世界的に著名な人物。

日奉椋 (Isanagi Ryo): 特異再生能力者。2013年7月10日にサイト-8114に収容済。日奉樹の義弟、日奉梢の義兄にあたる。

日奉梢 (Isanagi Kozue): 過去改変能力者。2014年9月30日にサイト-8116に収容済。日奉樹、日奉椋の義妹にあたる。

日奉茜 (Isanagi Akane): 蒐集院残党に属する女性。嗅覚に関連する特異性の保有を示唆する記録が発見されている。

日奉朽 (Isanagi Kuchiru): 氏名のみ確認。詳細不明。

日奉柊 (Isanagi Hiiragi): 80年以上前の文献にて氏名のみ確認。詳細不明。名前から本家「喬木流」の人間と思われる。

日奉薊 (Isanagi Azami): サイト-81KAの設立管理官。

現在

- 超常史編纂部門 超常史学者 和野傑