ZOCのハブ

ZoC-1 見知らぬ国と人々について

エージェント・アオは死んだ象を俯瞰する。

ZoC-2 不思議な話

管理官の不機嫌のわけ。

ZoC-3 鬼遊び

魔女を捜す男たち。

ZoC-4 おねだり

恐喝は意識の埒外で。

ZoC-5 十分にしあわせ

怠惰と云う名の恋愛沙汰。

ZoC-6 重大な出来事

襲撃。

ZoC-7 トロイメライ──夢──

夢に囚われた女。

ZoC-8 炉端で

残された者たちの混乱。

ZoC-9 木馬の騎士

胡乱な白昼夢探索。

ZoC-10 殆ど真面目過ぎるほど

信頼に足らぬ絶望を。

ZoC-11 おどかし

打ち止めはいつも唐突。

ZoC-12 眠りに入る子ども

我等夢見の仰せのままに。

ZoC-13 詩人は語る

最後の支配領域。


彼らの生涯の最速の時
(The Fastest Time of Their Lives)

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殴打。突然の衝撃に声なき悲鳴をあげた頭蓋、それが砕けたことを示す鈍く低い音がこだました。ヘルメット越しに前頭部へ繰り出された粗暴な一撃はしかし、目的の達成に十分過ぎるほどの精密さで脳中枢を破壊へと導いていた。ぐにゃりと歪んだ世界の構造を背景に、彼の意識は終焉へと向かう終わりなき加速を開始する。後方によろめき倒れていく身体は既に主の制御を離れ、ほんの少しだけ溢れた血混じりの唾液が乾燥した唇を潤す。いつの間にか手放していたマニラフォルダの中の書類が宙を舞い、始末書、アノマリ目撃者尋問記録、落書きに似た経過メモ、擦り切れた違反切符、SCP-088-JP報告書の複製が収容サイトの眩し過ぎる照明で僅かに透過する。混濁する視界は永遠とも思える時間をかけ下降し、二つの眼球は凹んだ消火器の血のように赤い金属光沢と、その持ち主である大柄な女、誰もが畏れるあの美しき女怪のハイヒールに刻まれた引っ掻き傷を見出す。Are We Cool Yet? まさか。お前達は一度だってクールだった試しがない──脳裏にじわりと閃いた思考は断片化し、全ての感覚、精神、時間と後悔が均質で無価値なゼロへと回帰してゆく。全てを呑み込む濃密な倦怠の霧の中、最後に脳裏に焼きつけたハイヒールの赤と一人の女の名前だけが、偽りなき領域の狭間で煌めき続ける。

前原愛。

そっと目蓋に触れたものが、静かに彼の眼を閉じた。

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(▷ Breaking a Record…)

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「速水さん?」

名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。ライダーブーツの靴底が合成樹脂の塗り床を擦る音に集中し、呼び掛けの声を後方へと置いていく。背後からの急な誰何や判断に窮する込み入った問題が生じたとき、彼はいつもそれを乱暴に頭から追い出してしまう。山野の猪が急には止まれないように、制動の為の加速も存在するのだと自分に言い聞かれせば、クソな残業や悪質な出頭命令を食らって貴重な時間を無駄にすることはない。……少なくともその時点では。

「あのー……NMO(渉外工作局)の速水神一郎さんスよね?」

二度目の問いかけには僅かな苛立ちと焦燥が混じっていたので、速水は5メートルほど離れた所でようやく歩を止めた。ヘルメットを被った頭を神経質に振り回し、歯をカチカチと鳴らしながら相手を大雑把に観察する。収容部隊の黄褐色の標準作業服を着た小柄な女が、腕を後ろで組んで気まずそうに立っていて、背の高い彼を見定める様な目付きで見上げている。見知らぬ人間を警戒する小動物を連想させた。

「1号セクターの赤村ス。どーも」その収容技師は挨拶した。「速水さんで合ってるんスよね?」
「そうだ」彼は自分でも驚くほどうんざりした声で応じた。「なんか用か」
「ああ、よかった」赤村は安堵の溜め息をついたが、速水の顔は見ようとしない。「前原博士から言伝を頼まれたんス。403の二次収容の件で話があると言ってたっスよ」
「……あの女がこのサイトにいるのか」
「いや、さっきサイトの通信課に連絡が来たんス。先週8119を襲撃したCIの戦闘員が、似たような認識兵器で武装してたとかで。認識災害部門の人には否定されたみたいっスけど、念の為に生き残りの首実検して欲しいんじゃないスかね」
「隔離した陽性患者の顔なんか憶えてない。検分ならDクラスかマロースにでもやらせておけばいい」
「さあ? 私も意図はよく分からないスけど。博士、個人端末に何度もメール送ったのに反応無いって怒ってましたよ。一応返事しといた方が……」
「お前は……」速水は喉から掠れ声を絞り出す。「お前は今まで俺と会ったことはないし、これからもそんなことはない。俺は伝言を受け取ってない。ここには来てない。何も知らない。分かったか」
「……」赤村は一瞬変な表情で固まったが、諦めたようにかぶりを振った。「あと、局長補佐官がサイトの無断侵入は控えてほしいと言ってたっスよ」
「さっさと行け」
「ホントに知らないスからね」

じろ、と速水を睨んでから、赤村は踵を返して元来た廊下を走っていった。

サイト-8192レベル1区画の長い廊下は想像を絶するほどに閑散としており、日本最大の規模を誇る収容施設とは思えない静寂に包まれている。62年の近江事件で滋賀県に大穴を空けた日本支部理事会が解散し(いい気味だ)、国内アノマリの分散収容が叫ばれてから、この古き良きサイトの活気は随分と失われたという。現在の8192は新規参入職員の教育や訓練用施設として辛うじて機能している状況であり、戦前に建設された幾つかのセクター棟は文字通り放棄され、忘れ去られた研究ユニットや小さな開発チームが細々と居を構え、封じ込め隔壁に利用する新たな合金素材の開発だの、正体不明のGOIか首輪をはめられていない野良の神格によってバラバラにされたエージェントの実存のメタ的な再構成だのといった絶望的な任務の遂行に精を出しているのだった。今の日本支部の主要な収容保全施設は8123、8141、そしてあの悪名高き8181だ。噂に聞く上から下までの風変わりな混沌に、速水は嫌悪と尊敬の入り混じる複雑な印象を抱いていた。

端末が着信を無視する速水を咎める様に振動したが、

「ちょっと」

その声に、速水は想像を絶する速度で振り返った。

曲がり角から唐突に出現したフォークリフトが速水の身体を全力で跳ね飛ばす瞬間、彼は廊下の向こう側に立つ白衣の女と目が合った。その眼は笑っていなかった。

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(▷ Breaking a Record…)

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速水は師走の冷たい外気を吸い込み、白く染まった息をゆっくりと吐いた。今夜の天気は数年来の厳冬にしては悪くなく、大晦日に相応しい仄暗い空が、地域本部のぬかるんだ地面に静かに雪を降らせている。背後の喧騒に包まれたプレハブの中では、今年の仕事を終えたフィールドエージェントと回収部隊の連中が集まって酒宴を楽しんでいる。差前のがなり立てるような笑い声と新米数名の楽しげな悲鳴とが、二重窓をやけに大きく震わせる。かじかんだ手をポケットに突っ込んだまま、速水は暫くの間その場で黙り込んでいた。

「閉め出されたのか?」
「そんなんじゃない」彼は歯をカチカチと鳴らして否定した。「中入ればいいんじゃねえか。差前サンに呼ばれてんだろ。育良と猫宮妹もいる。育良の方は門松に突っ込まれてたが……」
「お前はどうするんだよ」
「枚方のヒューム測定班が8181に戻ってない。様子を見てこいとカナヘビから連絡があった」
「あっそ」西塔は興味無さげに頷く。「酒臭いな。素面じゃないだろ」
「加速に支障はない」
「法律守れよ。トカゲのパシリもいいけど、今夜ぐらい羽目外してもいいんじゃねえの」
「……バイクに乗っていた方が、落ち着く」
「そうか」プレハブの笑い声が両者の沈黙を埋める。「……馴染まないな、お前」
「……」

再び黙ってしまった速水に助け舟を出すように、端末が鳴った。“Zone of Control, Zone of Control…” カナヘビからの催促だろう。ポケットから引っ張り出そうとしたが、酔いが回ったのか手が痙攣し、うまく取り出せなかった。小声で悪態をつく。

「」二人は視線を後方に投げかけた。グレーのロングコートを着た大柄な女が、非常に不機嫌そうな顔で立っている。

「前原さん……」西塔が呟いたが、速水は既に別方向に向かって駆け出していた。途中何度か躓き倒れたが、それに構わず全速力でバイクに向かって走り、切羽詰まった動作で跨がった。
「おい速水、何逃げてんのよ。朝まで呑むんだから付き合いなさいよ」
「そういう問題じゃねえし冗談じゃねえ! 俺はもうアンタに決……」

流麗なるKAWASAKI Ninja H2Rの燃料タンクが訳もなく爆発し、彼の肉体と精神を容赦無く焼き尽くすまでの数秒間、

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(▷ Breaking a Record…)

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(▷ Breaking a Record…)

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ワーオ! ワンダーテインメント博士限定版コレクションのリトル・ミスターを見つけたね! ぜんぶ見つけてミスター・コレクターになっ……」

ミスター・すぴぃどは秒速80kmの速度で月へと向かう軌道に乗り、直後に空中分解した。

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(▷ Breaking a Record…)

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南米、アマゾン奥地の秘匿された三角地帯。ヘルメットに括り付けた懐中電灯の他には光源のない前人未踏の洞窟で、インディー・ジョーンズもかくやといった格好の二人組が顔を寄せ合っている。

「これはゴリラロゼッタストーンだわ。ここを見て」前原教授は古い石版を指差して言った。「ゴリラルーン文字が放射円状に刻まれている。﨔田博士が隠していた文献と同じ特徴を示しているわ。失われた超古代ゴリラ文明の栄華を極めし帝都ウホウホへの唯一の鍵、遂に見つけた……」
「でも、そんな感じ、し、しねえ……まるでエンジンのかかってない、ば、ば、バイクみてえだ」

速水は加速への衝動を抑えられずにいた。もう二ヶ月も舗装された道路を踏んでいない。絶望的に足りない単位と引き換えに半ば無理矢理研究旅行に連れてこられたこの哀れなバイクオタク学生は、知らない間にメキシコ人盗賊団と国際神秘結社と類人猿帝国の三つ巴の陰謀に巻き込まれた自分の不幸を呪っていた。隣で熱心に古代文字を解読しているこの扇情的かつ危険な女教授は、彼にデスパレードで時にエロティックな災厄を与え続けていたが、本人にその自覚は特に無いようだった。そして最も最悪なのは、これが冗談抜きで酷いということ、もっと言うなら神山や大和よりも悲惨だという根拠の無い焦りが胸中を支配していることだった。その妙に具体的な思考が何を意味しているのかは皆目見当がつかないが、とても大切なことを忘れているのは確かで、いや、俺はそもそも何故彼女に……

「速水くん」
「は、はいっ!?」教授の声で彼は現実へと引き戻された。「何スか、今ちょっとぼーっとしてました」
「もう、何してるの」前原は溜め息をつく。日焼けした首筋に玉のような汗が浮かんでいる。「キーストーンを使って簡易ゲートを開くのよ。そっち持って、せーので行くわよ。……せーのっ」
「せーのっ」速水は酷使した身体に力を込め、大雑把にバナナを模した形の石板を大扉に嵌め込んだ。

聖なる巨大黄金マウンティング像を破壊されたゴリラ蛮族たちが怒りに満ちた雄叫びをあげ、凶悪な棍棒を振り回しながらGOC探検隊に襲い掛かる光景を間近で眺めながら、速水は自分を取り囲んでいる胡散臭い現実に順応しようとしていた。

「う……撃てーッ!」
BLAMBLAM! BLAMBLAMBLAMBLAM!

銃撃が開始されるが多勢に無勢である。圧倒的数量のゴリラ蛮族軍団がGOC隊員の頭をスイカのように粉砕し、人類文明を無慈悲に蹴散らしていく。

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(▷ Breaking a Record…)

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火星マーズソヴィエトがカオス・インサージェンシーと手を組んでから二年、財団とGOCと軌道共和連合(ORF)の同盟軍は苦戦を強いられ続けていた。今回の戦闘でダイモスの星宮社ウェイン・パレスが墜ちれば、オリンポス・カルデラに眠るものの目覚めを妨害する手段は永久に失われる。一万年前に火星人が築き上げた水晶都市が灰燼に帰したように、再び依り代を得た邪神が太陽系の人類文明を蹂躙するのは時間の問題となろう。

『前原愛が封じ込めを突破した』声は言葉を続けた。『お前の宇宙に住まう火星女王がカオス・インサージェンシーの手に堕ちた様に、あの女は財団の制御から完全に離れつつある。Are We Cool Yet?はたった一つの世界でのテロを皮切りに、崩壊する多元宇宙をキャンバスにエントロピック・アートを描こうとしている。一千ものCKクラスシナリオは別の宇宙の更なる破局を連鎖的に誘発し、無数の現実の時間連続帯を異常の波が食い潰すだろう。恒常性の鏈は砕け散った。総体的時間はもう僅かしか残されていない。お前が最後のアンカーだ。エージェント速水、それがお前、崩壊した世界から異なるタイムラインの肉体に乗り換え続けたお前の人間性そのものに託された任務だ。彼女を確保し、壊れた時間線を封じ込め、残された宇宙を保護しろ。オーバー』

通信が切断された。

完全な沈黙に支配されたコックピットで、Zt-0883はカチカチ歯を鳴らしながら身体を震わせ続けていた。突如眼を見開き、怒りの形相で奥歯を噛み締めて、言う。

「ふざけんな、お前等のクソ宇宙の危機なんざ知ったことか! テメエの時間線のケツはテメエで拭きやがれ、俺を巻き込むんじゃねえ! どいつもこいつも言いたい放題好き勝手しくさって、したり顔で説教して来る連中はアホみてえなロースピードでくだらねえ過去へと仲良く笑顔で逆走してやがる! もう限界だ! 生きとし生けるもの何もかも嘘っぱちのノータリンだクソッタレェッ!

Zt-0883は絶叫し、制御卓コンソールを拳で何度も殴りつけながら怒りと惑いと後悔の涙を流した。宇宙を、一束になって己に襲いかかる最悪の世界を──或いは最悪の職場環境を呪った。

歯を嫌になるほどカチカチと鳴らし、尽きない悪態をつきながら、速水は迅速な動作で機体システムチェックを開始した。航法支援システムがダウンし、姿勢制御バーニアの一部と上部装甲の大部分が破損している状態だが、推進機関の殆どは無傷、閉鎖循環系生命維持装置及び核融エンジンなどの基幹には深刻なトラブルは発生していない。

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(▷ Breaking a Record…)

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「全員集まったな」速水は歯をカチカチ鳴らしながら室内を見回した。「これから財団新人職員のオリエンテーションを開始する。まず最初に言わなくちゃなんねえことがある。俺はオリエンテーションが嫌いだ」

管理部から任された仕事が楽しいことなど絶対にあり得ないが、今回はこれまでで最悪の部類に入るであろうことは始める前から容易に想像できた。ただでさえ狭苦しい会議室は間抜けな顔の若者が満載で、暖房の効きすぎな狭い室内に充満する汗と鶴岡産だだちゃ豆ようかんの甘ったるい香りが、この利かん坊のような男を更に苛つかせていた。何度か逃げ出す事を考えたが、戸口には前原博士が腕を組み、それとなく壇上を威圧するように仁王立ちしている。(くそ、監視ってレベルじゃねえぞ)内臓が全体的に酷く痛むのを感じた。重苦しい気分だけが強くなり、辺りを見回す眼にも恨めしさが滲む。

「最近の……」言い淀み、咳払いし、再び口を開く。「最近の講義記録を見た限りじゃあ、賢いセンセイどもはお前らを震え上がらせる事に主眼を置いてるみてえだな。必要な事だと連中は云う。ここがどんだけ悲惨な職場か初めのうちに経験させときゃ、死亡率が下がるとでも思ってんのかもな。んな訳ねえ。不感症野郎どもはいつだってお仲間を求めてる。ピュアなお前らが羨ましくて妬ましいんだ。俺も最初に似たような事をされた」速水は一瞬だけ前原を見、すぐに眼を逸らした。「今でもトラウマだぜ。だからそんなのは大嫌いだ、クソッタレの鼻紙だ。お前らはそんな風になるんじゃねえぞ」

下腹部が針で突かれたようにずきずきと痛む。向けられるのは困惑と無関心の視線だけ。「言いたいのは、」舌を噛みかけ、「俺が言いたいのは、ここはハーバード白熱教室じゃねえし、誰もがマイケルサンデルやアルトクレフみたいにとびきりイカしたことが出来る訳じゃねえって事だ。奴等の真似はよせ」

緊張で掌が汗ばんでいるのが分かる。速水は一旦間を置き、羊羹を口一杯に頬張ってから言葉を続けた。「お前らは人間だ。唯のノロマな虫野郎だ。俺だって、お前らよりちょっと長生きで幸運だっただけの(そして、とても速い)単なる人間だ。裸で外にほっぽり出されりゃたちまち死んじまうくらいちっぽけで弱い」

「そして財団は『人間の』組織だ。勘違いすんなよ、収容エキスパートやら機動任務部隊員やら防諜局中央本部付やら素粒子物理学研究開発ユニットやら(そんなものはないんだが)、そんな取って付けたような大層な肩書きは、防護壁を紙みてえに易々と突き破ってくるクソみたいな連中と相見える時には何の役にも立たなくなるんだ」

「そういう時になると、俺たちは自殺するか神に祈るか、記憶処理剤を自己投与してクルクルパーになるぐらいしか選択肢が無くなる。他の方法はばかみたいな恐怖と苦痛を伴う上に、大抵の場合は失敗するからだ。別にそれは恥ずかしい事じゃない。尊厳を守ろうとするのは自然だ、寧ろ推奨されてすらいる」

でもな、と彼は話を続ける。いつの間にか声は枯れていた。「人間には踏ん張り所ってのがある。ここぞという格好の付け所ってのがある。それはオリエンテーションで若い連中を陳腐なアノマラスで苛め倒してる時じゃねえ。殺人ミームに暴露したDクラスの末路を訳知り顔で言い聞かせる時でもねえ。
 強酸を吐く……炎やビームでもいい、とにかくそういう化け物がお前らの眼の前で大口を開けていて、お前らが背を預けている隔壁の向こう側に千人の仲間がいる事を思い出した時、自分に何が出来るのかを考えてみろ。小便垂らしながらでもいい、そいつを封じ込めるための最適なプロトコルを見つけてみろ。
 俺には多分、無理だろう。だがお前らのうちの一人でもそういう状況に陥ったとき──仮にだ、仮の話──もし俺の話を覚えていて、眼の前にいるマジでクソみたいな野郎の鼻を少しでもあかしてやろうと思えるなら、それは……絶対に無意味なんかじゃねえぞ。財団にとっても、お前ら自身にとってもだ」

「いいんじゃない?」前原はよく通る声で言った。「言ってる事は立派、成る程なって思うわ。サンデル教授のくだりは要らなかったけど」 「勘弁してくれ……」速水は赤面した顔を隠すように首を振り、本来の指導役である前原と代わるために壇上から降りようとした。

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(▷ Breaking a Record…)

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「エージェント速水」

名前を呼ぶ声が聞こえたので、彼は静かに振り返った。ライダーブーツの靴底が冷たいコンクリートの床を擦る音が響き、呼び掛けの声と共鳴する。そこには上等なダークスーツを着込んだ背の高いアルビノの女性が無表情で直立していた。ペンギンのような女だ、と彼は思った。そして僅かに懐かしいと感じた。

「監督評議会補佐官のアスキーだ」そのエージェントは挨拶した。「CAD(中央管理部門)上級エージェントの速水神一郎だな」
「そうだが」速水は自分でも驚くほど平坦な声で応じた。「何か用か」
「……出頭命令だ」アスキーは少し戸惑ったように速水の顔を見つめた。「O5-10がお前と面会したいと仰っている。機密保持のため仔細は教える事ができないが、81管区の現状について査察官から直接問いたい事があると」
「彼女は今ここに?(Is she here now?)」
「ああ。急を要する案件のようだ。もうすぐおいでになる」
「お前は露払い役という事か」
「そうなるな」
「成る程」速水は大きく息を吐き、次いで不気味なほど快活な笑顔を作った。伝令エージェントの肩をがっしりと掴むと、「1分でここから離れろ。できるだけ遠くにだ。決して振り返るな。忘れるな。スピードになれ。いいな?」
「わ……」突然の接触に驚いたのか、女の眼に動揺の色が走った。「分かった」

彼はニッコリと笑い、肩に置いた手を離す。アスキーは二、三歩たたらを踏んでから逃げるように元の道を去っていった。

サイト-19レベル4区画の長い廊下は想像を絶するほど閑散としており、世界最大の収容施設とは思えない静寂に包まれている。速水は淀んだ濾過空気を肺に吸い込み、

ハイヒールの踵が床を叩く音が聴こえる。速水はいつの間にか持っていたマニラフォルダを宙に放り投げると、胸ポケットの通信端末にゆっくりと手を伸ばした。

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(□ Fin!)

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